奄美大島の相撲(歴史と文化)

 
 鹿児島県は、相撲が盛んな地域です。日本相撲協会のHPによれば、大相撲の世界で稽古に励んでいる鹿児島県出身力士は31人。そのうち15人が奄美群島出身になります。
 それに対して、沖縄県出身力士は4人しかいません。沖縄県も、実は相撲が非常に盛んな地域なのですが、大相撲の世界に進む力士が少ないのはどうしてでしょうか。
 大相撲では、戦前に活躍した横綱「西ノ海嘉治郎」が鹿児島県出身で、井筒部屋を再建、霧島、寺尾、逆鉾等の鹿児島県出身の人気力士を輩出しています。戦後にも高砂部屋の「朝潮太郎」が徳之島井ノ川出身で活躍をしました。現在も尾上部屋の「里山浩作」が十両四枚目で、3月場所11勝4敗、5月場所9勝6敗と好成績をあげています(2015年6月時点)。
 そうした大相撲の世界と人的つながりが強いということも、鹿児島県出身力士が多い理由のひとつかもしれません。そして、沖縄県で盛んに行われている相撲が、「」の大相撲とはルールが異なる「」であることも関係しているのかもしれません。
 奄美大島の相撲の歴史もたどってみると、沖縄相撲と同じ「組み相撲」が行われていたことがわかります。そして、戦後、日本復帰を契機として、奄美群島の相撲は大きく変化していくことになります。奄美大島には、約120の土俵があります。たぶん「日本一土俵が多い島」にちがいありません。
 奄美市立奄美博物館では、そうした相撲関係の資料収集、常設展示にも取り組んでいます。奄美相撲の伝説の力士たちの活躍をたどりながら、奄美大島の相撲の歴史をわかりやすく解説しています。その相撲展示の解説資料をご紹介しておきます。

こちらをクリック → 奄美大島の相撲(歴史と文化)