徐 玄九「奄美におけるカトリック排撃運動」

 外部リンクで紹介している平山久美子さんの論文「大島高等女学校廃校問題の一背景」は、カトリック系私立大島高等女学校の廃校に焦点を絞り、当時のカトリック排撃運動について分析したものでしたが、徐 玄九さんのこの論文は、奄美大島における当時のカトリック排撃運動について、より広い視点から排撃運動が展開していく様子をたどることができます。
 この論文では、明治32(1899)年、奄美大島要塞の建設が始まり、明治34(1901)年には奄美大島要塞司令部が設置されて、奄美大島が「国防」の拠点化していく過程で、司令官・笠 蔵次がカトリック排撃運動を次第に展開していく様子を詳しく理解することができます。
 明治32(1899)年、奄美大島要塞と同時に建設されたのは、小笠原諸島の「父島要塞」ですが、昭和2(1927)年に昭和天皇が両島を行幸されていることも示唆的です。
 さらに大本教教祖の出口王仁三郎の奄美布教等も加わり、国体論・国防論が浸透していく中で、カトリック教から神社参拝に転換、カトリック排撃運動として展開していく様子が、多角的に分析されています。
 戦前の奄美社会の一端を垣間見ることがてきるのではないかと思います。前述の平山久美子さんの論文をあわせて読まれてみてください。

徐 玄九「奄美におけるカトリック排撃運動」(外部リンク)
『沖縄文化研究』第37号、2011年、法政大学沖縄文化研究所

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