笠利集落伝承「ぐぃくまぎり」について

 
 2015年9月5日に開催された「奄美十五夜唄あしび」は、「大笠利の群れ唄」として笠利集落に伝わるシマウタの数々を聞かせていただきましたが、笠利集落だけに伝わるといわれる「ぐぃくまぎり」という曲が披露され、小皿を両手に持ちリズミカルに踊る姿が印象的でした。

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 ウタシャの当原ミツヨさん(笠利集落在住)が1994年に発売されたカセットテープ『紬の女』(セントラル楽器奄美民謡企画部)にも、この「ぐぃくまぎり」という曲が収録されています。
 「ぐぃくまぎり」とは、意味不詳とされているのですが、児玉永伯さんが「「ぐぃくまぎり」に関する一考」という論文を発表されていて(『奄美学:その地平と彼方』(南方新社、2005年)収録)、この曲に関する理解の手がかりを得ることができます。

当原ミツヨさんが歌う「ぐぃくまぎり」歌詞

一 ぐぃく間切に あたん事や
  でーふくふさとが しゅたる事や
  イヤサッサ しゅたる事や
  (イヤサッサ しゅたる事や)

二 糯米飯なんや 小豆入りて
  味噌汁なんや 卵入りて
  イヤサッサ 卵入りて
  (イヤサッサ 卵入りて)

三 吾や腹痛で 歩みならぬ
  腰ぬしょとらさば 気張て歩むぇ
  イヤサッサ 気張て歩むぇ
  (イヤサッサ 気張て歩むぇ)

四 吾や脛痛で 歩まらぬ
  脛ぬしょとらさば 気張て歩むぇ
  イヤサッサ 気張て歩むぇ
  (イヤサッサ 気張て歩むぇ)

五 あの坂登りば 話聞かしゅんど
  あの坂登りば 話聞かしゅんど
  イヤサッサ 話聞かしゅんど
  (イヤサッサ 話聞かしゅんど)

六 夜業家竈 歩っき廻て
  でかでか女童達 遊び行こや
  イヤサッサ 遊び行こや

 児玉さんは、『日本民謡大観』(日本放送出版協会、1995年)に収録されている沖縄本島の嘉手納町千原に伝承されている「ぐぃく」に注目しました。「ぐぃく」とは、「」のことで、エイサー等の行事歌として収録されています。

千原郷友会壮年男子が歌う「ぐぃく」歌詞

一 ぐぃくョ まじりに あたるくとぅ
  てぃくぐ ふさとぅが せるぐとぅや
  ユイサヤ セルグトゥヤ
二 めでぃ なじきてぃ むらみぐてい
  むらび やがまや とぅんみぐてぃ
  ユイサヤ トゥンミグティ
三 でぃちゃ でぃちゃ
  みやらび あしびかい
  わぬん あしびや しちやしが
  ユイサヤ シチャシガ

 ここから、児玉さんは、さらに琉球舞踊の「越来節」に注目していきます。「越来節」については、インターネットでも歌詞をみれると思いますので省略しますが、沖縄におけるこれらの曲の存在から、「ぐぃくまぎり」とは「越来間切」(現在の沖縄市)であると理解されてきます。

 二枚の小皿をカスタネットのように使用する踊りは、長崎県、佐賀県、島根県等に伝わる皿踊りを思わせるものがありますが、直接的な関係は明らかではありません。

 問題は、この「ぐぃくまぎり」が笠利集落に伝えられた時期です。戦前戦後、沖縄芝居の興行に関わるみなさんが、笠利集落にたまたま伝えたものなのか、それともおおよそ16世紀以降、琉球国の笠利間切統治の時代に伝えられたものなのか、琉球国の奄美群島統治に深く関わる笠利集落だけに、「ぐぃくまぎり」伝承に対する関心は、笠利集落のみなさんの踊りを間近に拝見して、あらためて深まるのでした。