奄美群島の文化は、日本文化を基層としながら、琉球国統治時代に琉球文化の影響を受け、さらに長く続いた薩摩藩統治時代に鹿児島文化の影響も強く受けながら育まれてきた独特のものです。
[衣]亜熱帯の自然環境に適応して、芭蕉布や大島紬等の染織文化が発達してきました。特に大島紬は、奄美大島の基幹産業として国内外に知られています。
[食]日本にはない豚を食べる食文化があり、豚脂も盛んに利用されてます。薩摩藩統治時代に、鹿児島の料理の影響も強く受けています。代表的郷土料理として知られる「鶏飯」のルーツは、琉球起源説、鹿児島起源説など諸説あり、明らかではありませんが、奄美市笠利町を中心に食べられていた料理であり、奄美群島全域の伝統的料理ではありません。「油そうめん」は、沖縄の「ソーミンチャンプルー」と同じ料理と説明されることが多いのですが、必ずしもそうとはいえません。汁気が多い「油そうめん」を奄美市笠利町や龍郷町で確認することができます。伝統的料理については、多様な地域性も含めて、まだまだ明らかにされていない課題が多いといえそうです。薩摩藩統治時代に黒砂糖生産が行われたため、黒糖を使用した菓子類もいろいろあります。
[住]奄美大島・徳之島・加計呂麻島等を覆う森林は、古い時代から船や住宅の材料として利用されてきました。今日、自然保護の観点等から難しい局面を迎えていますが、林業も、戦後まで隆盛をきわめていた伝統的産業です。隆起サンゴ礁で森林がない喜界島・沖永良部島・与論島に対して、亜熱帯多雨林の照葉樹林で覆われている奄美大島・徳之島は、琉球国統治時代から造船業が重要な位置を占めていて、建築業も独自の発達を遂げてきました。特に、幕末以降、楔を使用して釘を使わず組み立てる現代のプレハブ住宅に通じる民家建築技術が確立(ヒキモン構造と呼ばれています)、奄美群島全域に普及しました。奄美市には、国指定重要文化財の「泉家住宅」、国指定登録有形文化財の「薗家住宅」「旧安田家住宅」があります。奄美市立奄美博物館の敷地内にも、古民家と高倉が移築されています。
[芸能]「八月踊り」と呼ばれる伝統的踊りが、各集落で行われているほか、「シマウタ」と呼ばれる独特の唄があり、若い世代にも人気があります。奄美群島の伝統的音楽文化は、与論島・沖永良部島が「琉球音階」が用いられるのに対して、徳之島・与路島・請島・加計呂麻島・奄美大島・喜界島が本土民謡等と同一の「律音階」が用いられています。