昭和43年(1968)の『名瀬市誌』上巻の刊行から既に50年以上が経過しましたが,その後,奄美群島における名瀬市以外の13自治体からも,すべて自治体誌が刊行されています。平成時代に刊行された『喜界町誌』『瀬戸内町誌 歴史編』『大和村誌』『宇検村誌 自然・通史編』をみると,無文字時代となる琉球国統治時代以前について,考古資料に基づいた歴史叙述が大幅に加えられており,『名瀬市誌』の歴史叙述とは大きく相違していることがわかります。
それは,昭和58年(1983)のカムィヤキ古窯跡群(徳之島伊仙町)の発見に始まり,平成2年(1990)の土盛マツノト遺跡(奄美大島奄美市),平成6年(1994)の倉木崎海底遺跡(奄美大島宇検村),平成9年(1997)の小湊フワガネク遺跡(奄美大島奄美市),平成11年(1999)の赤木名城跡(奄美大島奄美市),平成15年(2003)の城久遺跡(喜界島喜界町)等,この30年ほどの間に古代・中世段階の遺跡の調査研究が,奄美群島北半の島嶼(喜界島・奄美大島・徳之島)において劇的に進展したからです。
これらの遺跡の発掘調査は,琉球史において農耕が始まり政治的社会が形成されたとされるいわゆる「グスク時代」開始期の奄美群島側の様相も明らかにしたのです。どの遺跡も,沖縄県側ではほとんど認められない拠点的性格を持つもので,曖昧模糊としていた奄美群島の無文字時代を,日本歴史の舞台に鮮やかに繋げる役割を果たし,さらには沖縄本島における琉球国の形成について,奄美群島が大きな影響を与えている可能性を浮かび上がらせはじめたのです。
そうした奄美群島における考古学研究の最新成果をはじめ,関連分野の研究成果を総合的に分析しながら,新しい琉球史像を提起し続けてこられた吉成直樹氏(元法政大学沖縄文化研究所教授)をお招きして,南海の島嶼世界に彗星のごとく現われた琉球国の形成について,農耕社会を基盤としたアジ達が抗争を経て王国を打ち立てたという琉球史の通説は本当なのか,その謎に迫ります。
講演に引き続き,内容をさらに理解していただくため,吉成直樹先生と博物館長・高梨 修による対談形式で,「グスク」「農耕社会」の開始について,それぞれ解説を行います。
奄美群島から発信される歴史情報の豊かさ,ロマン,おもしろさについて,そして相対的に位置づけられた奄美像について,皆様に共有していただける機会になれば幸いです。
[講 師] 吉成 直樹 先生(元法政大学沖縄文化研究所教授)
[演 題] 琉球王国は誰がつくったのか
[日 時] 令和2年2月6日(木)19時00分~20時30分(90分)
吉成直樹×高梨 修 対談「琉球史における「グスク」の開始について」が最後にあり
令和2年2月7日(金)19時00分~20時30分(90分)
吉成直樹×高梨 修 対談「琉球史における「農耕社会」の開始について」が最後にあり
[場 所] 令和2年2月6日(木)宇宿貝塚史跡公園
令和2年2月7日(金)奄美市立奄美博物館企画展示室(3階)
[主 催] 奄美市立奄美博物館(奄美市教育委員会)
[備 考] 入場無料
[連 絡 先] 奄美市立奄美博物館(奄美市教育委員会文化財課)
TEL 0997-54-1210 FAX 0997-53-6206
E-mail bunka@city.amami.lg.jp