この論文は、前田達朗さんが、最後に「日本においては南西諸島の問題として語られることが多かった「方言矯正」が、鹿児島でも独自に行われていたことについては「日本」という言語社会を考える上でもっと研究がなされるべきであろう」とまとめているように、鹿児島県本土における戦後の標準語教育について分析したものです。
「同じ琉球語圏である奄美の教育現場で行われてきたことには、沖縄と相似の事象-標準語の強制と方言の矯正-が見られる。さらに言語継承が途絶していることも同様である。
大きく違うのは、奄美では、教育も含む行政において、現在に至るまで鹿児島県の支配下にあるということである。中央の政策的な決定は及んだとはいえ、沖縄の中でその教育政策を完結できたのと違い、奄美だけで何かを決めるということは、1945年から1953年までの軍政期も含めて、これまでなかったといえよう。従って奄美群島の中で何があったのかを考えるためには、「中央」である鹿児島でどのような標準語教育政策がもたれていたのかについても踏まえておく必要がある」
そのために、「鹿児島の「県本土」とよばれる薩摩・大隅地域において、通時的にどのようなイデオロギーをもって、国語教育の中で標準語を、そして方言を扱ったのかを考察することである」として、戦後の鹿児島本土における標準語教育の実態を分析しているのです。
奄美の標準語教育史が、新しい視角から再考されはじめている様子を知ることができる論考です。
前田達朗「鹿児島県の国語教育における標準語/方言イデオロギー-戦中の「指導書」と戦後の教育雑誌を手がかりとして-」(外部リンク)
『日本語・日本学研究』第3号、2013年、東京外国語大学国際日本研究センター