笹森儀助『南島探験』

 元弘前藩士の笹森儀助が、政府に命じられて、明治26(1893)年に南西諸島の視察を実施した際のいわば出張復命書(視察報告書)ともいえるものが、明治27(1894)年に刊行された『』という書籍です。
 国立国会図書館では、インターネット公開している膨大なデジタルコレクションがあり、明治時代以降に刊行された図書・雑誌の一部もデジタル化されて、「近代デジタルライブラリー」として資料公開されています。

笹森儀助『南島探験』(外部リンク)
近代デジタルライブラリー、国立国会図書館

 笹森儀助は、1845(弘化2)年、青森県弘前市在府町生まれ。
 明治25(1892)年に、千島列島の視察調査を行い、『千島探験』を刊行しています。この書籍が、当時の内務大臣・井上 馨の目にとまり、笹森儀助は、南西諸島の視察調査を命じられることになります。その視察調査は5ヶ月にも及び、沖縄本島、宮古島、石垣島、鳩間島、西表島、与那国島、与論島、沖永良部島、徳之島、奄美大島等の島々の様子が詳細に記録されています。
 この『南島探験』が契機となり、笹森儀助は、奄美群島の大島島司としてふたたび奄美大島に派遣されることとなりますが、4年間で辞職しています。
 その後、東亜同文会の嘱託員として、明治32(1899)年、日本語学校建設のために朝鮮北部に渡ります。その際、ロシア国境付近の視察調査も実施しています。帰国後は、郷里の青森市に戻り、第2代青森市長を務めました。また私立青森商業補習夜学校(現在の青森県立青森商業高等学校)を設立して、初代校長にも就任しています。
 1915(大正4)年、71歳で逝去。